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父親の闘病日記(闘病記録)第五話になります。
確定診断
三つの検査を終えて、とうとう肺がんかどうかの確定診断の日、2019年10月10日、父親とともに大学病院に向かいました。
CT検査の結果を聞きに行ったときと同じで、僕はソワソワというかドキドキというか全く落ち着かないのですが、横を見るといつも通りの父親。
人間の心理はわからないけど、父親の精神面の安定感は抜群なのであります(*^-^*)
僕の緊張感が伝染することもなく無事に病院に到着し、手続きを済ませ、いつもの待合室へ。
予約診察ではありますが、大学病院ということもあり、大抵1時間以上は待たされるのですが、この日はこの待ち時間が異様に長く感じて><
受信機が鳴り、診察室に入りましたが、何となく雰囲気でわかるものなんですね・・・。
CT検査の画像診断から“肺がんである確率が高い”と言われていましたが、結果は変わることなく、「肺がん」という診断でした。
加えて、二つの大きな問題が・・・、
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これらの事実が伝えられました。
まさに、トリプルパンチで、容量オーバーなのであります( ゚Д゚)
僕自身混乱していたこともあり、“どんな風にがんであることを告げられたのか”とか“父親と担当医が話をしていた会話の内容“とか、ほとんど思い出せないんですよね。
結局この日、“肺がんであること”は告げられましたが、「組織型」「病気(ステージ)」「治療方針」等は、わかりませんでした。
ただ、話の流れだったでしょうか、早期発見というような状態ではなく、病状は進行しており、“この状態で何もしなければ余命半年程度ではないか”と、突如余命宣告をされたことは強烈に覚えています。
そして、父親が気管支鏡検査について“別の方法はないのかな”と担当医に詰め寄っていたことも強烈に覚えています><
今後については、同大学病院の泌尿器科を受診し、肺がんの検査と並行して、前立腺についても検査をしていくことになりました。
父親の焦点が完全に「気管支鏡検査」に当てられていたことがなんとも複雑だったよなぁ~(ΦωΦ)
思わず、“焦点はそっちじゃないでしょ”とツッコミを入れちゃったのであります!!
大切な人とがん
自分自身にとって大切な人が、がんと告知を受けたとき、ショックを受けない人はいませんよね。
僕自身、これまで考えないようにしていたことが一気に噴き出し、ただただショックでした。
がんが治る時代に入ってきたとはいえ、現実として、日本人の死因第一位であり、完全な治療法が確立されているわけではありません。
「死」に直結する病気であることは確かで、がんと告知されたときに激しく落ち込み、なかなか前向きな気持ちを持てずに立ち直れない方も少なくないという事実が、がんという病気を物語っているように感じます。
父親が診断された肺がんについては、予後が悪く、非常に厳しい病気であるというのが第一印象でした。
がん種別死亡率でトップとなっていますし、5年生存率といったデータを見ても、「食道がん」「肝臓がん」「膵臓がん」等とともに、厳しい部類に入っているのは間違いないので・・・。
もちろん病期(ステージ)等によって大きく異なってくるから、一概には言えないのであります・・・それでも、このような実証されたデータは、ボディブローのようにじわじわ効いてくるんだよなぁ~( ̄д ̄)
病院の診察を終え帰宅後、静かな場所で冷静になって今後のことを考えたとき、自然と涙が溢れてきた。
“父親と一緒に過ごせる時間が少しずつ減ってきているのかも知れない”そんなことを考えずにはいられなかった。
ゲラゲラ笑う父親
こちらの項目も前項に続いて、父親が肺がんと告知を受けた日のことだよ(*’▽’)
僕自身は動揺を隠せず、凹み、そして大きなショックを受けていましたが、父親は全く変わった様子はなく。
診察が終わり病院を後にする際にも、“まだ早いからパチンコでも行くか(流石に断りました><)”とか“スーパーによって夕食を買って帰ろう”とか、何もかもがいつも通り。
帰宅後も父親が自分の部屋に戻ってからは、テレビを観ながら“ゲラゲラ、ゲラゲラ”と笑っている声が聞こえてくる。
まるで何事もなかったかのように過ごしている姿が不思議でしょうがなくって・・・。
もしかしたら、僕が気付かないところで、例えば、お風呂に入っているときや僕が寝た後に泣いていたのかも知れない。
ただ、そういう痕跡が本当に見当たらないんですよね><
長い期間一緒に住んでいるので、何か変化があったら流石に気付きますよ、ましてがんと告知され僕自身の神経も過敏になっていますし・・・。
今まで、さまざまな場面で父親の性格的なことに触れてきてはいるのですが(今後も触れます(笑))、本当に精神的な動揺がみられない人でした。
“精神的に打たれ強い”や“気持ちの切り替えが早い”という表現が一番しっくりくるのだろうか・・・でも、それらを超越している気がするんだよなぁ~( ゚Д゚)
遠回しになってしまいましたが、この項目で一番伝えたかったことは、父親がこのような性格の持ち主だったということもあり、“がんになっても非常に接しやすかった”ということです。
こんな言葉は言わない方が良いというような「禁止ワード(NGワード)」もなければ、そもそも落ち込まないので「励ましたり勇気づけたり」といったことも必要ない。
変に気を使うこともなく、ただ普段通りに接していればそれで問題なし。
このことは、僕が患者で逆の立場だったときも、同じように助けられました。
当然、病気自体に対する不安や苦しみはありましたが、父親があまりにも普段通りに接してきてくれることにより、“病気になったことで周りに迷惑をかけてしまった”というような気持ちが薄れ、気分が楽になり、前向きに過ごせるようになった大きな要因の一つであったことに違いありません。
話が本編から脱線してしまいましたが、見習うべきものすごい性格の持ち主がすぐそばにいることに気付かされたというお話でした^^
前立腺がんの疑い
肺がんのことしか頭になかったので、当然、“他の部位にがんがあるかも知れない”なんてことを考えるわけもなく。
肺がんの告知で開き直ってはいましたが、複数のがんを抱えることがどれほど大変なことなのかは想像に容易いので、複雑というか、できることなら現実逃避したかったですよ><
幸いなことに、前立腺については、「がん」ではなく「前立腺肥大症」という診断結果でした。
お薬の処方もなく、すぐに治療が必要な状態でもなかったようで、本当に安心しましたね^^
父親は頻尿にも悩んでいたから、いろいろ相談していたけど、“薬が多くなり過ぎても大変”ということで、現状維持ということになったのであります!!
前立腺についてですが、10月中に同大学病院の泌尿器科を3度受診しています。
まず、1回目の受診では、医師から“「PSA」の数値が低いので、前立腺がんの可能性はほとんどない”ということを伝えられましたが、念のため「MRI検査(造影剤使用)」を行うことに。
次に、2回目の受診では、「MRI検査(造影剤使用)」を実施しています。
“検査開始2時間前より、排尿はしないでください!!”という指示があったから、父親はめちゃめちゃ我慢していたなぁ~(。-∀-)
“バレやしないからトイレに行かせてくれ”と何度言われたっけ(ΦωΦ)
最後に、3回目の受診で医師から検査結果が伝えられ、「がん」ではなく「前立腺肥大症」という診断結果となっています。
父親が入院中は、頻尿の症状が強く現れたこともあって、泌尿器科の先生が何度か足を運んでくれ相談に乗ってくれたそうです^^
部位によって検査の仕方が異なるのは当然ですが、“検査結果がこんなに早く出るものなのか”と、肺がんとの違いに驚きを隠せませんでした。
2回目の気管支鏡検査
2019年10月21日に2回目の「気管支鏡検査」を受けました。
理由はともあれ、短期間に大の苦手な検査を再度受けるということで、この日の父親の毒舌ぶりは・・・想像にお任せします( ˘ω˘)スヤァ
前述したように、1回目の検査では、“細胞や組織を上手く採取しきれなかったこともあり、医療チームでカンファレンスを行った結果、再度、「気管支鏡検査」を実施することになった”というような説明を受けたと記憶しています。
おそらく内視鏡検査が好きという方はいないと思います><
そのため、あまり否定的なことを書いてしまうと、どんどんイメージが悪くなってしまう可能性があるのですが、やはり大変な検査だなと。
父親の感想としては、“1回目の検査より2回目の検査の方が遥かにつらかった”ということでしたね。
“検査員の腕によるのかもな”“ほとんど苦痛を感じなかった1回目の検査は奇跡だったんだよ”と言っていたよなぁ~(ΦωΦ)
いろいろな要素があると思いますが、今回は肺をゴリゴリされているのがはっきりわかったということで、かなりの苦痛や不快感があったようです。
ただ、検査後に関しては、「熱っぽい」「痰に血が混じる」「口の中の焦げ臭さ」等は変わらず訴えていましたが、1回目のように体調が悪くなるといったことはなく。
“検査はつらいし体調も悪くなる”といったことが避けられただけでも良かったのかなと・・・。
実際、2日後には「前立腺MRI検査」も控えていましたので、無事に終わって何よりでした^^