押忍!!“楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ”、応援団員わっそんです^^
当ブログにご訪問していただき、ありがとうございます^^
父親の闘病日記(闘病記録)第十一話になります。
2回目の入院
入院生活は普段の生活と違い制約も多いので、自由人の父親としてはもの凄くストレスが溜まることもあり、苦手で大嫌い。
“病院が好き”とか“入院が好き”とか、そのような人を探す方が難しいと思いますが・・・。
それでも、1回目の入院と同様に気持ちをパパっと切り替え、自虐ネタを言いながらも“体調管理をして5日以内に退院するぞ!!”と気合を入れていましたよ^^
入院までの流れと入院1日目の流れとしては、前回とほとんど同じ。
「前日に病院から入院決定の連絡」→「午前中の早い時間帯に病院に向かう」→「入院の手続き」→「胸部レントゲン検査」→「入院病棟へ移動」→「看護師の指示に従って個室に移動」→「“また個室だわ”と文句を言いながらも、担当医との面談までくつろぐ」→「担当医からの説明」→「採血」→「尿検査」→「胸部CT検査」→「個室に戻り、看護師からの説明」→「薬剤師からの説明」というような流れだったと思います。
入院担当医も前回と変わらなかったよ・・・父親曰く“この病院で唯一話しやすい医師”らしいけど、“忙しそうだからほとんど話はできないけどな”ということでなんとも複雑だったなぁ~(ΦωΦ)
今回の入院治療に関して、担当医から説明されたことは以下のようになります。
まず、使用する薬剤(抗がん剤)については、
|
ということでした。
当然、これらの薬剤(抗がん剤)について詳しい説明がありましたが、専門家ではないので、相当勉強していないと細かな説明にはついていけないというのが率直な感想。
疑問点があっても再度聞くことは気が引けてしまう・・・。
「副作用」「薬剤(抗がん剤)の効果」「投与方法や投与間隔」といった基本的なことしか理解できず><
僕自身、自分の病気に関しては、基本的な知識を頭に入れておけば十分という感じなんだけど、家族の病気となると、しっかり勉強しておくべきと思っちゃうのであります・・・しかし、勉強した気になっていただけで、肝心なところが理解できていなかったなぁ~( ˘ω˘)スヤァ
これらの薬剤(抗がん剤)が従来型の抗がん剤であることは理解できていたのですが、今思えば、“なぜこの抗がん剤が選ばれたのか”や“がんのタイプやがん細胞の遺伝子変異について”など、質問してみたかった事項がいくつか頭に浮かんでくる。
このような自分自身の想いは、今後の担当医の説明などでも同様に感じました。
いろいろ振り返りながら記事を書いているから、なおさらこんな風に思うのかも知れないなぁ~(*’▽’)
次に、入院期間についてなのですが、
◆1回目の説明
◆2回目の説明
|
ということでした。
1回目、2回目と記載しているのですが、実は、諸所の説明や検査を終え個室で休憩しているときに、再度担当医が訪問してきたんですよ。
CT画像のプリントを持って、“○○さん、少しお話良いですか??”“画像所見から「閉塞性肺炎」のような兆候がみられるので、入院期間が延びちゃったっす”と言われ・・・。
詳しく説明をしてもらいましたが、要は、すぐに抗がん剤治療(薬物療法)は行えないので、肺炎に対する治療をし、様子を見ながら抗がん剤治療に移りたいとのこと。
入院期間は、“最低でも2週間前後になってしまう”と言われました。
初日から“1日でも早い退院を!!”という野望が潰えてしまったので、父親ガックリだったのであります(ΦωΦ)
“前回の入院も散々だったよな、今回の入院も幸先悪いし、こりゃ対策を考えなくちゃだわ”となぜか笑っていたぞ(。-∀-)
今回、父親に使用される薬剤(抗がん剤)がどのくらいの効果が見込めるのかについては、“がんの種類や進行の程度によって異なってくるため、一概には言えない”ということでした。
ただ、ステージ4の化学(薬物)療法ともなると、毎回、想うことや願うことはたった一つだけ・・・“とにかく薬よ、効いてくれ・・・”
効果が認められなくては、次の一歩は踏み出せないわけで・・・スタートラインに立つことさえもできない。
父親の1回目の入院では大きな希望を持って帰路に就くことができましたが、今回の入院では希望よりも不安の方が圧倒的に多かった。
副作用、それなんだっけ
父親と面会をするため、2020年2月9日、病院に行っています。
毎日電話をしているので父親の状況については把握しているのですが、特に体調の変化はなく、“がんの症状よりも不眠症の方がつらい”と言われ、ミステリーな気分に><
やっと寝付いたと思ったら朝食の時間で起こされ、その後再度眠っても、医師の回診やら糖尿病の血糖値の測定やら、看護師に声をかけられることも多く、あまり眠れないということでして・・・。
睡眠薬を何度か変えてもらったようだけど、環境の変化等もあり、ほとんど効果はなく・・・おおいびきをかいて眠っている部屋の人が羨ましいということなのであります( ˘ω˘)スヤァ
寝付けないときには、雑誌を読んでいるそうで、“大量に購入した雑誌がまだまだ残っているから、丁度いいや”と話していたなぁ~(*’▽’)
気になる肺炎についてなのですが、順調に回復しており、担当医から、“○○さん、全体的な数値も安定しているので、2月12日に抗がん剤治療を行いましょう”と言われたそうです。
父親は、免疫チェックポイント阻害薬の体験から、薬剤(抗がん剤)に対する印象が多少変わってきているようでしたが、“今回は純粋な抗がん剤なので、副作用の発現には個人差が激しい”と薬剤師や看護師から聞いたそうで、それほど楽観的ではなく。
とにかく、“一日でも早く退院してやる”という想いだけはものすごく伝わってきたぞ(‘’Д’’)
次に、僕自身が面会に行ったのは、父親が抗がん剤を投与した翌日。
心配性なので、抗がん剤の投与から数日間は面会に行こうと考えていたのですが、父親から“そんな心配しても仕方ない、誰か看護師に好きな人でもいるのか!!”みたいなことを言われたんでやめましたよ><
病院内にあるカフェで待ち合わせをしたのですが、足取りも軽く、颯爽と現れる。
予定通り、担当医から伝えられていた日に抗がん剤を投与し、現時点まで副作用と考えられるような症状は全く現れていないということでしたね^^
がんで薬剤(抗がん剤)治療となると、投与した日からしばらくの期間(特に1コース目)は、本人だけでなく家族も“いつ副作用が現れるのか“”どんな副作用が現れるのか”と、めちゃめちゃ身構えるんですよ><
気持ちもあまり落ち着かない。
ただ、前回の免疫チェックポイント阻害薬のことも合わせて考えると、父親の身体は抗がん剤の副作用が出にくく、そこに支持療法の進歩も伴って、もしかしたら副作用自体がほとんど現れない体質なのではないかと前向きに考えられるようになっていく。
そして、いつも通り、大きな声でベラベラ喋っている父親を見ていると、“強靭な肉体と鋼の精神を兼ね備えた、ちょっと変わったロボット”のように見えてきて・・・。
父親も“副作用ってなんだろうな??わからなくなってきたよ・・・”“こりゃターミネーターにでもなったかな、ハッハッハwww”とご機嫌だったのであります(≧◇≦)
副作用が出ないに越したことはないので、元気そうな父親を見て、安堵の胸をなでおろす。
ところが、数日後に信じられない光景を目にすることになるとは・・・言うまでもなく、このときには想像もつかなかった。
初めて見た光景
その出来事は、前回の面会から2日後のこと。
夕方ごろ、携帯に見慣れた番号から電話がかかってきたので、“なんだろう??”と出てみると、入院担当医からの電話。
大学病院は、科によっても病棟によっても電話番号が違うから、よくわからなくなるのであります(。-∀-)
いの一番、“父親が血を吐いてしまい、吐き気の症状が非常に強く出ている”ということで・・・、“すぐに命に関わるような状況ではない”みたいなことを言われたと記憶しているのですが、“血を吐いた”なんて聞くと平常心を保てるはずもなく。
電話では冷静を装っていましたが、手と足は震え心臓はバクバク。
居ても立っても居られず、担当医がたまたま当直ということもあり、すぐに車に乗り込み、病院へ。
入院病棟に着くと、担当医が待ってくれており、父親が治療を受けている部屋に案内してくれましたが、重症者が入るナースステーションの真ん前の個室に移動しており、カーテン越しから聞こえてくる電子音がなんとも不気味で・・・。
部屋に入ると、ガーグルベースンを口元に置いて、非常に苦しそうにしている父親の姿が目に飛び込んでくる。
担当医が、現在の状況とこれまでの経緯を説明し始め、
※少し内容を忘れてしまっており、曖昧な部分がありますことをご了承願います。 |
以上が、まとめた内容になります。
僕自身は全く知りませんでしたが、大前提として、“口から血液を吐く”といってもいくつかの種類があるようで、よく耳にするのが、「喀血」と「吐血」ではないでしょうか。
この時点では、まだどのような種類なのか断定はできないということで、“血を吐いた”という表現を使用していますが、担当医からの説明では、吐出したものが凝固しなかったこと(血ならば固まる)やCT画像からも肺病変による喀血との確証もないということで、胃の粘膜が傷ついて出血が混じったもの、つまり、「吐血疑い」の可能性が高いということでした。
これは、後日の説明となりますが、父親は内視鏡検査を行っており、全て異常はなく、明らかな出血性病変は認められないということで、一時的な吐血だったようです。
とにかくわからないことが多かったよ・・・人間、自分自身の身体に関することはしっかり勉強しておくことが理想だよ・・・ただ、そのための時間や余裕があるのかと問われると・・・難しい問題なのであります(ΦωΦ)
一方、父親自身の状況ですが、
|
というような感じでした。
個人差はありますが、抗がん剤の副作用が強く現れると、“こんなにも別人になってしまうのだろうか”と驚きを隠せず。
後日調べてみたのですが、父親に現れた“口から血液を吐く”というアバスチンの副作用は、「重大な副作用」とか「注意を要する副作用」との記載がされており、発現頻度は極めて低いとのこと。
「書籍」や「ハンドブック」を読み、大まかな内容を把握していても、重大な副作用等については確率が低いというだけで、どこか他人事のように感じていた。
しかし、抗がん剤が悪い方向に働いてしまうと、本当に恐ろしいことが起きてしまうという事実をまざまざと思い知らされた瞬間だった。
この日の、「オムツをしている」「食べ物も食べられない」「ベッドから身動きができないほど弱ってしまっている」というような父親の姿は、どれもこれも僕自身が初めて見た光景。
特に、身動きすらできず、下の世話(排泄介助)までされている光景は衝撃的で、今でも目に焼き付いている。
回復への道
父親が体調を崩した当日、僕自身は明け方に病院を後にしています。
父親は、夕方以降も何度も吐いてしまってはいましたが、“出血はなく状態は安定している”という担当医の言葉を聞いたことや少し会話もできるようになったことで幾らかホッとする。
担当医からは“泊ってもらっても全然構いません”と言われたけど、父親が“帰って休んだ方が良いぞ”と・・・こういうときは傍にいられても落ち着かないようなので退散したのであります(ΦωΦ)
翌日の夜には、兄も面会に来てくれ、それ以降僕自身は3日連続で父親の様子を見に行くことに。
少しずつではありますが、父親が一日一日確実に回復していっていることは、目に見えてわかりましたね^^
人間の身体はすごいなぁ~と、病に侵されていても全身状態(パフォーマンス・ステータス)が良ければ、ドンドン回復していくんですよね^^
3日目には、担当医との面談があり、父親の現在の状況について、以下のような説明を聞きました。
|
薬剤(抗がん剤)の効果が現れていることは何よりなのですが、このような状況になると素直に喜べないというか、正直、複雑な心境で・・・。
また、副作用が出る方が、総じて抗がん剤の効果が認められる傾向にあるという話も聞いたので、これまた複雑で・・・。
病気になって苦しみ、そして、治療の際にも想像以上に苦しむことがある・・・やはりがんは特殊な病気なのだと痛感した。
三途の川と退院
父親は順調に回復していきましたが、当初は見ているのも辛い状況だったことは確か。
父親の状況を振り返ってみると、
|
上記のような感じでしたね。
あとは、食事がとれるようになれば自ずと体力も回復し、体調も元に戻ってくる様子ということや電話もできるようになったこともあり、以降はいつも通りの間隔で面会へと向かう。
次に、僕自身が面会に行ったのは、2020年2月22日のことになります。
電話で状況を聞いてはいましたが、バリバリに元気になっており、副作用が出る前と同じようにカフェで話をすることができ、過去に戻ったような感覚に包まれる。
父親はよく「三途の川」という言葉を口にするのですが、今まで何回も見てきた中で、今回は一番深くまで入り込んだそうで、戻ってこられるとは思わなかったと・・・。
父親は心霊現象というか心霊体験というか、そっちの経験が多少ありまして・・・死後の世界について語ることも結構あり、独自の世界観を持っていたのであります・・・丹波哲郎さんの番組を見すぎたんじゃないのかなぁ~(*’▽’)
副作用に襲われた当日の話を聞きましたが、“なんかの検査に行ったような気がするけど、ほとんど記憶がない”とのこと。
“でもまあ、入院はこうじゃないとな、元気な状態で入院したって仕方がない”と、何とも言えない独自の見解も飛び出す始末><
なにわともあれ、父親自身もこんなに早く体調が回復してくれるとは思ってもいなかったということですし、担当医からも同じことを言われましたので、不幸中の幸いだったなと。
そして、それから3日後の2020年2月25日には、無事退院となりました。
ちなみに、父親は鼻をかむときにものすごく強くかむのですが、まだ軽い出血があるので、“○○さん、優しく!優しく!”と何度も釘を刺されており、退院間際にも看護師に何度も言われている様子が滑稽で・・・。
予定では1週間前後の入院期間だったけど、最終的には20日間の入院となってしまったのであります( ̄д ̄)
1回目の入院も2回目の入院も全く計画通りに進まず・・・“試練があり過ぎだろ”、そんな気持ちしかなかった。