パパの似顔絵(14)

 

わっそんわっそん

押忍!!“楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ”、応援団員わっそんです^^

 

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父親の闘病日記(闘病記録)第十四話になります。

 


茨の道

 

道の先にはハリケーン

 

前回の診察が終わり、新たな薬剤(抗がん剤)治療を行うのか、あるいは緩和ケアへと移るのか、どちらにすべきなのか考えていた時期だったと思います。

 

わっそんわっそん

父親に薬剤(抗がん剤)治療で重大な副作用が現れて以降は、父親の意志を最大限に尊重し、すべての判断を父親に任せていたよm(__)m

 

“肺がんの症状としての痛み”が強く現れるようになって・・・。

 

痛む個所としては、「腰」「両胸」「背中から肩」で、一日中痛みを感じるようなことも多くなり、痛みの度合いも明らかに増していました。

 

痛みにめっぽう強い父親が、“あ~痛たたたた!!”と、今までと全然違う反応をしていたので、相当痛いことが伝わってきましたよ><

 

わっそんわっそん

どのような痛みなのか聞いてみると、“ガリガリ!ガリガリ!虫にかじられている感じだわ”と言っていたなぁ~( ゚Д゚)

 

わっそんわっそん

そして、痛みの程度はどのくらいなのかと聞くと、毎回、“○○じゃ我慢できなくて、とっくに救急車呼んでるよ”と、とんでもないことを言われていたのであります( ゚Д゚)

 

以下は、書籍等からインプットした知識なのですが、

 

  • 激しい痛みを伴うと、患者の生活の質(QOL)は大きく低下する
  • どの部位のがんにおいても、進行がんになると、患者の7割で痛みが最大の苦しみとなる
  • 肺がん末期の痛みに関しては、「激痛」「耐え難いほどの痛み」と表現されていることが多い

 

とのことで、途轍もない痛みであることは容易に想像できる。

 

病気の症状というのは経験したことのある人にしか、もっと言えば、個人差もあるので、最終的には本人しかわからないことであり、家族としては、症状を訴えられることが一番つらいのではないでしょうか。

 

お薬もほとんど効いていない様子で、何もしてあげられなくて、ただただ己の無力さを知るだけ。

 

それでも、生活自体は全く変わらず、横になるわけでもないし、やるべきことはやり、いつも通りゲラゲラ笑いながらテレビを見ている父親。

 

“楽しいことをしていれば忘れられるような痛み”、そんな軽い痛みではないはずなのに、普段と変わらない生活を送っている。

 

そこに強さを感じずにはいられなかったし、そのおかげで周りの人間が必要以上に心配をしなくて済んだことも事実。

 

しかし、症状はそれだけで終わることはなく・・・。

 

4月の下旬になってくると、“目の上あたり(目の奥)に強い痛みが生じるようになり、さらには物も二重三重に見える”と訴えるようになる。

 

片目だけであり、症状が出ない日もあったのですが、嫌な予感しかしない。

 

さまざまな箇所に症状が出てきているという事実は、病状がかなり進行してきている証でもあり、茨の道が近づいていることを予感せずにはいられなかった。

 

風向きを変えたくて・・・

 

 

次に大学病院を訪れたのは、2020年4月28日のことで、「頭部MRI検査(造影剤使用)」を実施。

 

次回の診察までにある程度期間が空くと、必ず看護師から“何か変化があったら病院に連絡を入れるか、受診に来てください”と言われるのですが、「痛みが強くなり、物も重複して見える」という変化があったにもかかわらず、父親は知らん顔で全く連絡も受診もしないというお決まりのパターン><

 

僕自身は、せっかく病院に来ているし“担当医に相談したほうがいいのでは・・・”と話したのですが、父親に“大丈夫!大丈夫!我慢できてるんだから、次の診察のときに伝えればいいよ!!”と即答される><

 

この日は検査だけの日程でしたので、検査終了後はそのまま帰宅。

 

それから2日後には、検査結果の確認と今後の治療について父親の意志を伝えるために大学病院を受診しています。

 

物が二重三重に見えるということで、特に車の運転について心配をしていたのですが、前回の診察時と同様、なぜか外出する際にはあまり症状が出ないようで、いつも通り父親の運転で病院へ。

 

思えば、父親も兄も非常にプラス思考な人間で、僕だけがマイナス思考なだけに、二人の足を引っ張らないように、自分なりに努力はしてきたのかなと。

 

例えば、この時期でいうと、「父親が神社のおみくじで大吉を引いたこと」「どのような状況に置かれても何ら変わることのない父親の姿勢」「病状は進行しているがパフォーマンス・ステイタス(PS)に全く変化がないこと」など、些細な幸せに目を向けるように努める。

 

そして、“兄夫婦に新しい命が誕生する”という報告以降は、この幸福にあやかり風向きを変えられるよう、一人で外出した際は必ず神社にお参りをするなど、自分なりにできることを実践。

 

それでも、残念ながら、流れを変えることはできず・・・。

 

肺がんは“脳に転移している状態”という厳しい宣告を受けました。

 

また、前回の診察から今回の診察までの病状の変化を伝え、実際に、脳転移によるものと考えられる症状も出てきていることから、症状の進行を防ぐためにも、「放射線療法」を行うことが決まる。

 

今回の診察では、前述したとおり、“今後どのような治療を選択するのか”について伝えることになっていましたが、状況が大きく変わったからでしょうか、担当医は一切そのことには触れず。

 

わっそんわっそん

ちなみに、父親は“とことん勝負してやる!!”と「TS-1の内服」による薬剤(抗がん剤)治療を行おうと考えていたのであります(*’▽’)

 

父親の身体のあちこちにがん細胞がはびこり、ついには脳にまで転移してしまった。

 

“いつかこういう日が来てしまうのではないか”と心のどこかで考えたことは何度かあった・・・まあ、考えないようにしていただけなのかも知れない。

 

ただ正直、「医療技術の進歩」「父親の体力や気力」「がん宣告されたときの病期(ステージ)」などなど、総合的に考えても、こういう状況を迎えるのは最低でも2年いや3年ぐらい先のことなんだろうなと・・・。

 

本当にタイムスリップでもしたような感じで・・・。

 

父親が肺がんになって以降、自分なりに勉強をしてきたので、父親の身体がどれほど厳しい状態にあるのかは痛いほど理解していた。

 

だからだろう、兄に父親の病状を報告するときに、初めて言葉に詰まり、涙が止まらなかった。

 

転移性脳腫瘍

 

 

僕の中では、「脳の病気=危険」という認識がありまして・・・転移の中でも「脳への転移(転移性脳腫瘍)」を一番恐れていました。

 

肺がんは脳転移をきたしやすいがんとして非常に有名ですよね><

 

転移を告げられた際は、どの部位に関しても大きなショックを受けますし、どれが一番とか比較できるものではありません。

 

ただ、ショックの大きさは変わらなくても、危機感という面では、脳転移を告げられたときが一番強かったのは確かなこと。

 

なぜなら、ここまでに肺がんについてさまざまな知識を吸収し、がんが脳に転移することの厳しさを痛いほど知っていたからです。

 

具体的に言うと、がんが脳に転移すると、「まひ」「けいれん」「記憶や感情の障害」など、患者の生活の質(QOL)に大きな影響を及ぼすような症状が多く、なによりも予後が不良。

 

薬物療法の進歩やガンマナイフの登場により、脳転移であっても長期間生存する方々が増えてきていますが、データ等を調べてみると、「生存期間の中央値は4~7か月程度」と記載されているケースが多く、脳転移に伴う症状がある患者の生存期間は、症状がない患者と比べて短い傾向にあることは間違いない。

 

父親が肺がんと診断されて以降、“あとどれくらい父親と一緒に過ごせる時間が残されているのか”、ふと考えてしまうことが数多くあった。

 

これまでは、自分をごまかす材料はいくらでも残っていたが、この時期あたりだっただろうか、そういう材料も少なくなっていって・・・。

 

現実を直視しながら希望を持ち続けることの難しさは計り知れない。

 

最後に、前項では触れませんでしたが、今回の診察で担当医から処方されたお薬は以下になります。

 

  • ロゼレム錠 8mg (睡眠薬)
  • タケキャブ錠 20mg (消化器用剤)
  • カロナール錠 200mg (解熱鎮痛剤)
  • センノシド錠 12mg (下剤・浣腸剤)
  • ロキソプロフェン錠 60mg (解熱鎮痛剤)
  • 酸化マグネシウム錠 330mg (制酸剤・緩下剤)
  • ヘパリン類似物質油性クリーム 0.3% (保湿剤)

 

痛みは格段に強くなってきているのですが、父親が痛み止めを飲みたがらなかったこともあり、「ブロチゾラムOD錠」がなくなっただけで、その他のお薬に変更はありませんでした。

 

助手席

 

車の助手席1

 

2020年5月7日、脳転移(転移性脳腫瘍)に対する放射線治療へと進むため、同大学病院の放射線腫瘍科へ向かう。

 

前回放射線腫瘍科を訪れたのは、昨年の11月のことで、遠い昔でもないのに、やけに懐かしさを感じて・・・。

 

わずか数か月後にこんな気持ちで再度受診することになるとは夢にも思わず。

 

待合室で順番が来るのを待っている間、ずっと物思いにふけっていましたよ><

 

父親の肺がんの脳転移の状態としては、数個ではなく、数多くの転移がみられるということでした。

 

わっそんわっそん

慰めのような感じだと思うけど、無数の転移が見られる方も多いらしく、担当医からは、“一般的な状態”と言われたなぁ~(ΦωΦ)

 

放射線治療には、脳全体を照射する「全脳照射療法(WBRT)」とピンポイントで転移巣を照射する「定位放射線照射療法(SRS)」がありますが、どちらの治療を行うかは、転移の数や大きさ等を考慮し、最終的には医師の判断となるようです。

 

父親は、5月19日から5月29日まで、全10回の全脳照射療法を実施することが決まる。

 

そして、この日の診察では忘れもしない出来事がもう一つ・・・それは、初めて僕が車を運転して大学病院に通院したこと。

 

僕の指定席だった助手席には父親が座っていて。

 

振り返ってみると、父親と一緒に外出するときには、まず僕が運転することはなかったので、「父親が助手席に座っていること」「父親がハンドルを握っていないこと」、とにかく違和感だらけ><

 

わっそんわっそん

鬼退治に桃太郎がいない感じかなぁ~・・・例えが悪くてすいません(。-∀-)

 

父親は車好きで、運転も上手で、あえて自分が運転する理由も見つからず。

 

助手席に座って、父親がベラベラ喋っているのをなんとな~く聞きながら、景色を見たり、スマホをいじったり、それが当たり前で一番居心地が良かった。

 

しかし、この日以降、父親が車を運転することは数える程度で、だからといって、助手席に座る父親を見ることに慣れるほどの時間が与えられることもなく。

 

わっそんわっそん

助手席の父親は厳しいこと!厳しいこと!!・・・やれ左に寄りすぎだの、やれ停止位置が悪いだの、隣に教習所の教官が座っているようだったぞい・・・まとめると“○○は運転が下手だな”ということなのであります( ˘ω˘)スヤァ

 

◆父親の目の症状について

父親は、放射線腫瘍科を受診する数日前に、かかりつけの眼科で目の状態を詳しく診察してもらっていたのですが、“肺がんの脳転移による症状とは全く関係はなく、白内障の手術で入れたレンズが曇ってきていることが原因”と言われたそうです。

そのため、“レーザー治療をし、状態によっては眼鏡を使用することで改善できるはず”ということで、5月中にレーザー治療を実施することに。

僕自身は、“脳転移とは全く関係がないのかな??”と腑に落ちない感じで・・・。

一方、放射線腫瘍科の医師の話では、画像を細かく見ていくと、“眼の神経の周辺にも腫瘍が確認できるので、その影響が強いのではないか”ということでしたが、一応眼科で専門医による治療も行った方が良いという判断でした。

 

緩和ケアとケアレスミス

 

Dangerを指差す

 

4月の中旬あたりの診察から、今後の治療方針についての話の中で、緩和ケアも選択肢の一つという提案がされて以降は、呼吸器内科での診察の際に、緩和ケアについて触れられることもちらほら。

 

そして、脳転移(転移性脳腫瘍)が発覚したときには、担当医から、“脳転移の治療経過次第では、積極的な治療を行っていくことが難しくなる”と言われ、具体的な話へと進んでいく。

 

掻い摘んで言うと、「これ以上の治療は難しい」「有効な治療法がなくなった」ということであり、これもまたショックな話であることに違いありません。

 

悪い意味で捉えてしまうと、どこまでも悪く考えることができるので、このような宣告は、「がん告知」「余命宣告」「転移や再発」などと同じように、事実を受け入れることにものすごく時間がかかる。

 

がんに罹患すると半数の方は一時的に抑うつ状態になると言われ、うつ病の発生率は一般の方と比較すると2倍以上になることが報告されているそうです。

 

家族としてがん患者を見守った僕自身も、振り返ってみれば、抑うつ状態になっていたと思いますし、がんでは、“いつうつ病になってもおかしくないような状況が沢山待ち受けている”としみじみと実感するばかり><

 

わっそんわっそん

短期間でこんなに気持ちの浮き沈みを感じたのは初めてのような・・・例えるなら、ジェットコースターに乗って毎日を過ごしていた感じだなぁ~( ̄д ̄)

 

間違いなく、がんとうつ病は隣り合わせであり、患者や家族に対する精神面のサポートも欠かせません。

 

わっそんわっそん

話がちょいとそれてしまいまして、失礼いたしました(*’▽’)

 

まず前提として、父親がお世話になっていた大学病院では、“積極的な治療を行うことができない”という状況になると、地域で連携している病院を紹介し、そちらで今後の治療を行ってもらうというスタンスをとっていました。

 

そのため、担当医や看護師から、“あらかじめ、こちらの病院の地域医療連携室で今後のことを決めておいてください”との話があり、脳転移発覚以降は、診察や検査が終了するたびに、地域医療連携室の担当者と話し合いを進めていくことに。

 

ただ、正直言いまして、ゆっくり考える時間や具体的にしっかり話し合うほどの時間や余裕はなくて・・・。

 

地域医療連携室の担当者から要望があった、今後病院を変える際に、“どこの病院で治療を行っていきたいのか”に関してだけは、家族で相談し希望を伝えていたのですが、その他の点については少しずつ話し合って決めていくのがベストなのかと。

 

このとき、父親のがんは進行しており、症状も強く出てはいたのですが、パフォーマンス・ステイタス(PS)に変化がなかったことや全10回の放射線治療が控えていたこともあり、とりあえずは、最低限のことだけを決めておき、詳細なことについては、放射線治療の様子を見ながら相談していけばいいと安易な考えを持ってしまっていたんですよね><

 

緩和ケアを含めた今後のことについての相談の最中に、さまざまな出来事が重なってしまい、以後は、後手後手になり、最終的には、なんとも中途半端な形で新しい病院へと転院することになっていきます。

 

もちろん、コロナウイルスによる影響も非常に大きかったのですが、明らかに僕自身のミスによるもの。

 

簡単なことだけを決めておき、父親や家族の詳細な希望等を伝えられるときにしっかりと伝えなかったせいで、父親が最期を迎えるときに、僕自身は大きな後悔をすることとなるのです。

 

◆緩和ケアについて

改めて、緩和ケアについて調べてみたのですが、定義が大きく変わっており、驚かされました。

僕自身は、「終末期に受ける治療」「病状が進行し治癒の見込みがない人が受ける治療」というイメージを持っており、完全にマイナスなイメージ。

しかし、現在では、“緩和ケアは治療の初期段階から治療と一緒に受けるケアで、病気による身体的な痛みや症状、精神的な苦痛を軽減するために専門家が連携して患者さんをケアすること”という趣旨で、その対象が患者さんだけでなくご家族も対象になっているようでして・・・。

“ずっと勝手にマイナスなイメージを抱いていてすいません”と謝らなければいけないなと><