押忍!!“楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ”、応援団員わっそんです^^
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2000年6月27日、肺がんにより、父が旅立ちました。
これから、順次、父の闘病日記(闘病記録)を投稿していく予定です。
この記事では、「はじめに」と題して、“あらかじめご了承願いたいこと”や“父の闘病日記を書こうと思った理由”などについて触れています。
大切なことも多いので、父の闘病日記を読む前に一読していただけると幸いです^^
はじめに
父の肺がんに関する闘病日記(闘病記録)を書くことに対する迷いは微塵もありませんでしたが、どのように記載していくべきかについては本当に悩みました><
初めは、自分の想いや父に起こった出来事を淡々と描いていくことがベストだと感じていました。
ただ、闘病日記を書こうと思った動機の一つでもある、“父に感謝の気持ちを伝えたい”ということを考えた際に、やはり“どこかで父にもこの闘病日記を読んでもらいたい”という想いが人一倍あったんですよね。
父は本やブログ等をほとんど読まない人間でしたし、父の性格を考えると、闘病日記でも、“笑えるような、ユーモアに溢れた内容”にしないと間違いなく読んでもらえないはずだと(笑)
“○○、この文章つまらないから、テレビ観てくるわ”と言われるのが落ちです・・・はい(ΦωΦ)
そのようなことを踏まえて、笑えるような内容は「ガハハ!!」と笑えるように、あまり深く考えることなくざっくばらんに記載しています。
父が笑ってくれることを想像し、あえて面白おかしく書いてあるような部分もあります。
また、父が亡くなった実感があまりなく、悲しみが癒えていない状況下で文章を書いてきたこともあり、拙く配慮の無い文章になってしまっているかも知れません。
「現在もがんと闘っている方々」「がんと闘っている方を一生懸命サポートしている方々」「身近な人をがんで亡くされた方々」、そのような方々に対して、失礼な表現がありましたら、まずはこの場でお詫びさせてください。
ただ、父の性格を加味して、“父が笑って読んでくれるような文章でありたい”という、勝手ではありますが、書き手の想いがあることをご理解いただけると幸いです。
父に関することは、【末期がんで旅立った父、どこかでゲラゲラ笑ってる(父の巻)】で詳しく記載していますので、一読していただけると嬉しいです^^
父の闘病日記(闘病記録)を書こうと思った理由について
まず、僕自身がなぜ父の肺がんに関する闘病日記(闘病記録)を書こうと思ったのかについて触れておきたいと思います。
その主な理由としては、
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という事柄が大きな要因です。
あ、まとめようと思ったけど、理由を書き出したらきりがない程あったぞい( ゚Д゚)
上記に記載した理由を簡単に補足しますね^^
父に対する感謝の気持ち
僕自身は、数年前に母を亡くし、それからは父と二人で日々を過ごしてきました。
それ以前に、母が交通事故による後遺症で体調を崩し、入院生活も長期に及んでしまったので、実質的に父と二人で過ごした日々は想像以上に長かったです。
話せば長くなってしまうので割愛しますが、元々は父のことが好きではなく・・・と言いますか、嫌いでしたね><
母のためとはいえ、突然父と二人で暮らすことになったあの日の気持ちは忘れもしないや(ΦωΦ)
それでも、二人で生活をし、ゆっくりと話をするようになってからは、父に対する印象は驚くほどにガラリと変わってしまい。
昔から抱いていた近づき難くて怖いという印象は徐々になくなり、母が居たときには全く現さなかった、まるで別人のように明るく優しい人間なのだということに気付きました^^
父に対する印象については、兄と話をしていても全く同じ見解なので、自分がバカで鈍感だったということではないようだぞい( ˘ω˘)スヤァ
僕自身が「脊髄腫瘍疑い」という難しい病気になり苦しんでいた時期には、全面的なサポートをしてくれながらも、すべての面で何事もなかったかのように普段通りに接してくれました。
“励ますでもけなすでもなく”、嘘のように普段通りに接してくれたことが、病人にとっては本当にありがたいことでして。
この時期に焦りや不安を感じることもなく、WEBビジネスという新しい分野にチャレンジすることができたのも、父が温かな環境を与えてくれたおかげだと心から感謝をしています^^
今振り返ると、父と二人で過ごした期間は本当に濃い時間であり、“ありがとう”と伝えなければならないことばかりです。
この闘病日記を書くことで、どこかで見守ってくれている父に、自分自身の想いが少しでも伝われば嬉しいなぁ~ヾ(≧▽≦)ノ
自分自身の心の整理や気持ちの整理
僕自身は、病気になってから「日記」を書くようになったので、大それたことは言えませんが、自分自身の想いを書き出すことはすごく大切なことだと思っています。
ノートでもメモ帳でも何でも構わないので、自分の想い(本音)をズバッと書いてしまうと心が楽になることも多いのではないでしょうか。
実際、父が亡くなってから数か月間は、手続き等のやらなくてはならないことを除いては、何もやる気が起きないような無気力状態な日も多かったのですが、不思議とこの日記だけは、それほど苦もなく書き続けることができていました。
元々の性格やら、病気の症状やら、本当に精神面が弱いっす(。-∀-)
自分は、“こんな風に感じていたんだな”“あんなことを想っていたんだな”などなど、文章にして初めて気付くことも多いですし、何よりも自分自身と向き合えることが素晴らしい。
頭の中で考えていたことを整理することもできますし、節目節目や自分自身の中で大きな出来事が起きたときに、自分の気持ちを書き出してみることはとても効果的だと思います。
家族視点での闘病日記(闘病記録)
僕が見てきた範囲内のことですので、少ないというのは語弊があるかも知れませんが、ご自身の病気について闘病日記(闘病記録)を書いてくださっているケースが多いように感じました。
僕自身は、これまでに、母の介護と父の介護を経験しています。
そして、どちらの介護とも、自分自身がキーパーソンでした。
父の介護をするようになったとき、“自分はそういう星の下に生まれてきたのだ”と良い意味であきらめたなぁ~( ̄д ̄)
まだ僕自身は介護を必要とするまでの病気になったことはありませんが、前述した「脊髄腫瘍疑い」という難しい病気を経験し、そして両親の介護も経験している中での判断ですが、正直どちらももの凄くつらく苦しい。
これは、比較をしているわけではなく、また比較できるわけでもなく、当然それぞれに異なった大きなつらさや苦しみがある。
ただ、一つ言えることは、これほどまでの苦しみを味わう必要性がどこにあるのだろうかと・・・。
神さまという存在がいるのなら、問いたくなってしまう。
人間これほどの苦しみを味わわなくても、他の苦しみから十分に多くを学ぶことができると僕自身は信じています。
それほどに大きな苦しみなので・・・。
介護を必要とするような病気になってしまった本人だけでなく、それを支える家族(身近な人間)にとっても心身が壊れかねないほどの苦しみであり、これほどまでの苦しみとは無縁であることが一番だとさえ考えてしまう。
宗教的で哲学的なことになってしまうし、それこそ、各人によって大きく意見が異なってくる分野だから、軽く聞き流してくださいませ(笑)
がんなどの大きな病気では、家族は「第二の患者」と言われることが多いですが、間違いなくその通りです。
僕自身の家族の立場として身近でサポートした経験が、少しでも自分と同じような境遇に置かれている方々の参考になれば幸いです^^
体験価値の重要性
ブログを書き、WEBビジネスに携わるようになってから気付いたことになります。
全く同じ体験をしたとしても、その体験から何を得て、何を感じ取るのかは一人ひとり全く異なってくる。
商品レビューなどはその典型で、同じ商品を購入しても実にさまざまな意見や感想がありますよね。
そしてこれらは、その商品に興味を持ち購入を考えている方にとっては本当に貴重な情報ではないでしょうか。
母の介護のときには、自分で情報発信をしてみたいというような考えはあまりわかなかったのですが、体験価値の重要性に気付いた現在では、“できる限りしっかりと情報を伝え、多くの方々と情報を共有できたらいいな”という想いが強くなりました。
同じ病気と闘っている方々のブログや体験談に元気と勇気を頂いたこと
僕が父の闘病日記(闘病記録)を書こうと考えた一番の理由になります。
がんという病気と闘っている方々のブログや身近な人の介護をされている方々のブログには、大きな大きな元気と勇気を頂き心の底から励まされたことは忘れもしません。
父が肺がんと告知され、大きなショックを受け落胆したとき、まず初めに目に行ったのが、がんと闘っている方々のブログでした。
そして、父の病状が悪くなり、この先のことを考えると不安で押しつぶされそうになったときには、介護をされている方々のブログにも励まされました。
もっと言えば、母の介護をするようになって以降、ずっとさまざまなブログに励まされ背中を押され続けてきた自分自身がそこにいて。
多くの方々のブログには、事細かな情報が記載されており、今自分が知りたいと思っていた情報のほとんどを知ることができました。
一般的な情報が整理されており、情報がわかりやすく書かれている書籍も大変参考になりますが、そのときどきの想いや心情を知るには、ブログほど優れたものはないと感じています。
同じ病気でも、さまざまな意見や感想を聞けるブログの素晴らしさに改めて気付いた次第です。
多くの方々のブログに支えて頂いたこともあり、恩返しと言ったら偉そうなのですが、自然とそのような気持ちを抱くようになりました。
僕自身の体験や父のがんとの闘いが、少しでもどなたかのお役に立てれば幸いです^^
父の闘病日記(闘病記録)のタイトルについて
父の闘病日記(闘病記録)は、「末期がんで旅立った父、どこかでゲラゲラ笑ってる」というタイトルにしています。
このタイトルの由来は、単純に、映画やテレビを観ながら“ゲラゲラ笑っている父の姿”が一番強く印象に残っているからです。
父は普段、人と話をしていてもそれほど笑いません。
ただ、大好きな映画やテレビを観ていると、本当に豪快に笑っているんですよ><
僕はウォーキングを日課にしているんだけど、家から5~6軒先の小さな公園で父の笑い声を幾度となく聞いておりまして・・・近所の人が優しい方々で助かったなぁ~、ハハハ(≧◇≦)
父は、一人で自分の部屋で映画やテレビを観るのですが、そこには父独自の世界観があり、その領域を変な風に侵すと、すごく機嫌が悪くなりましたね。
「笑うこと」が心や体に良いということは医学的に実証されつつあるようですし、あそこまでゲラゲラ豪快に笑えると正直羨ましかったですよ^^
もちろん、父と一緒に映画やテレビを観たことがあって、人によって笑いのツボが違うことも理解しているけど、それにしても“そこ笑える??”“今のどこが面白かったのだろうか??”と何度も感じたことは内緒なのであります( ˘ω˘)スヤァ
最後に、父が亡くなり、一番違和感を覚えたことも、この笑い声が一切聞えなくなったことでした。
今でも家の中が静かすぎることに対しては全く落ち着かず・・・。
あの笑い声が愛おしく感じるようになってしまったことが残念でなりません。
あらかじめご了承願いたいこと
当初は、父が治療中に現在進行形で闘病日記(闘病記録)を書いていく構想を立てていました。
“父の感想も聞くことができる”“僕自身も肺がんについていろいろな知識を吸収することができる”“ブログを通して同じ境遇の方々と交流でき、さまざまなアドバイスを頂けるかも知れない”などなど、とにかくプラスの効果しか感じなかったので、一刻も早く闘病日記を書きたいと考えていて。
父は肺がんと診断される以前の資料もある程度残してくれていたから、これは間違いなく“誰かが闘病日記を書けと示唆しているな”と思い込んじゃったぞい( ゚Д゚)
そして、せっかく闘病日記を書くのなら、
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そのようなイメージを描いていました。
しかし、大きな誤算が・・・。
父が肺がんの治療を開始してから落ち着くような期間がなく、ブログどころか自分自身の日記を簡単に書くぐらいの余裕しかなく。
気付けば、父が亡くなって数か月後に、やっと闘病日記を書くことができる状態になりました。
そのようなこともあり、この闘病日記は、自分自身の日記と病院からもらった資料を柱に、いろいろなことを思い出し振り返りながら作成しています。
幸い、父が肺がんになって以降は、「そばに寄り添い共に闘ってきたこと」「闘病日記の作成を念頭に入れ父を見守ってきたこと」「父とがんとの闘いからそれほど時間が経過していないこと」などもあり、日記や資料、そして自分自身の記憶からほとんどのことは的確に記載できたのではないかと感じています。
それでも、もちろん、現在進行形で作成することができなかったことから、少し曖昧な部分があることも事実です。
また、がんに関する情報に関しては、再度調べ直すなど、情報の正確性には非常に注意をして作成してきましたが、何分専門家ではありませんので、大きな間違いがあるかも知れません。
気になる点がありましたら、ご指摘していただければ、もう一度調べ直し、修正するなどしっかりとした対応をさせていただきます。
至らない点が多いかも知れないけど、どうぞ大目に見てやってくださいませ(*^-^*)
いろんなことを考え突き詰めていったら、闘病日記というより、なんか小説っぽくなってしまったなぁ~(ΦωΦ)
最後に、抗がん剤治療の表記に関することに触れさせてください。
肺がんでは、「従来型の抗がん剤」や「分子標的治療薬」、そして「免疫チェックポイント阻害薬」など、さまざまな種類があります。
そのため、この日記においては、「薬剤(抗がん剤)」「化学(薬物)療法」「抗がん剤治療(薬物療法)」等のいくつか異なる表記方法を使用しています。
わかりにくい点があるかも知れないけど、こちらの点もどうぞ大目に見てやってくださいませ(*^-^*)
闘病日記に関しては、至らない点も多々あるかと思いますが、予めご了承願います。