パパの似顔絵(3)

 

わっそんわっそん

押忍!!“楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ”、応援団員わっそんです^^

 

当ブログにご訪問していただき、ありがとうございます^^

 

父親の闘病日記(闘病記録)第三話になります。

 


胸部CT検査の結果

 

天秤にかけられた〇と✕

 

検査の結果を聞くために、2019年9月5日、父親とともに大学病院へ向かいました。

 

わっそんわっそん

前回の記事にも記載しているけど、この日から大学病院の診察や検査の際には、必ず僕も付き添うようにしていたよ(*^-^*)

 

CT検査によって、「何らかの病気が疑われ再度検査を受けることになるのか」、あるいは「特に異常はなく、しばし病院とおさらばとなるのか」、結果によって全く進む道が異なってくることもあり、僕自身はすごくドキドキしていたことを覚えています。

 

わっそんわっそん

父親はいつも通りで緊張している様子は一切なし・・・ああいう性格になりたかったなぁ~(ΦωΦ)

 

大学病院に着いて外来受付の手続きを済ませると、父親に“こっち!こっち!”という感じで、呼吸器内科の担当医の診察室前まで案内され。

 

呼出受信機が鳴り、診察室に入り担当医の話を聞きましたが、残念ながら、検査結果は望んでいたものではありませんでした。

 

胸部CT検査では、がん以外のさまざまな病気も見つかり、肺がんなのかそれ以外の病気なのかわからないこともあるということですが、担当医によれば、“肺がんである確率が高い”ということでした。

 

わっそんわっそん

もちろんショックだったけど、事前に「CT検査だけでは肺がんと断定できないこと」や「肺がんと間違われやすい鑑別が難しい病気もあること」などについて調べていたから、そっちであることを祈り希望を持っていたのであります・・・こういうときだけプラス思考(*ノωノ)

 

その後に、今後の検査の流れなどを説明されるのかと思いきや、担当医から意外な一言が・・・。

 

“1週間後に診察予約を入れておきますので、今後の検査に進むかどうかについて、ご家族と話し合って決めてきてください”とのことでして・・・。

 

“あれれ??”、当然僕自身は、肺がんかどうかの確定診断をするため直ぐに精密検査を行うと思っていたので、この発言に面食らったことは言うまでもありません><

 

父親の意志

 

光を指差す少年の影

 

“はい!了解しました!!”確かそんな威勢の良い返事をして、父親は診察室を後にしたと思います。

 

父親に一声かけて、僕は担当医と二人で話をすることにして・・・。

 

ここで、初めて父親の治療に対する確固たる意志を知ることになります。

 

父親は、“もし肺がんと疑われたとしても、今後のより細かな精密検査は望んでいない”ということでした。

 

わっそんわっそん

父親が一人で大学病院を受診していたのは数回だけど、担当医が聞いてもいないのに、そのような話を何度もしてきたらしいっす(ΦωΦ)

 

わっそんわっそん

何でも話してくれる人だから、こんなようなことは聞いていたけど、冗談交じりだったから、見破ることができなかったなぁ~(。-∀-)

 

そして、ここからは、担当医に言われたことになります。

 

“肺がんである可能性が高い”と伝えられたときの患者さんの反応としては、下記のいくつかのパターンに分けられるらしく、

 

  1. 検査自体を望まず、検査を受けないパターン
  2. 今後の検査の流れを聞いて、検査に進むのかどうか悩むパターン
  3. 患者さん自身から、“先生!急いで精密検査をしてください!!”と検査に進むことを自ら望むパターン

 

続けて、

 

“○○さんは完全に1のパターンで、そのような場合には、診察時にいろいろな話をしても結論が出ることはほとんどありません”

 

“CT検査の結果を伝えた際にも、○○さんの顔色はほとんど変わらなかったですし、もちろん雰囲気でもわかります”

 

“そして、1のパターンでは、本人の意志を変えることは非常に困難です”

 

“とにかく、重要なことですので、一度家族全員で今後のことについて話し合って、次回の診察時に結論を教えてください!!”

 

こんな感じのやりとりをしたのを鮮明に覚えています。

 

大学病院で呼吸器内科を専門にしている先生、おそらく今まで同じような場面を星の数ほど経験しているはずなので、この意見はものすごく説得力がありました。

 

わっそんわっそん

入院治療や抗がん剤治療(薬物療法)となれば、父親は望まないし、どうすべきか話し合うことになるのは覚悟していたけど、検査の段階から、これほどしっかりとした意志を持っていたのには驚いたなぁ~( ゚Д゚)

 

今後は、父親の本来の意志とは異なった道へと進んでいくことになるのですが、今振り返ると、父親には本当に申し訳ないことをしたという“言葉にできない感情”しかありません。

 

父親のがんに関する知識

 

机の上に積まれた沢山の書籍

 

当時を振り返ると、この時点におけるがん(肺がんを含む)に関する知識は、僕よりも父親の方がはるかに詳しかったですね^^

 

僕自身は、このあたりを境にして、ブログや専門書籍、そして無料電話相談等を活用させていただき、本格的に情報収集をし、がんについて勉強するようになっていきました。

 

まだ肺がんと確定はしてはいないし、プラスになるようなことだけを考えるようにしていましたが、専門医の“肺がんである確率が高い”という言葉が重かったのは確かで、とりあえず知識だけは身に付けておこうと複雑な気持ちで学習をしていましたよ><

 

わっそんわっそん

大学病院で検査を受けることになった時点から、少しずつブログを読むようにしていたことは内緒にしといてくださいませ(=゚ω゚)ノ

 

一方父親は、書籍等を読んだりして新しい知識を身に付けるようなことは全くありませんでした。

 

これは、検査の段階でも実際に治療を行っている段階でも一貫していて。

 

このあたりにも父親の性格が表れているのなと。

 

わっそんわっそん

病院からもらった放射線治療や抗がん剤治療(薬物療法)のガイドブックなんかも全く読まなかったしなぁ~・・・さりげなく食卓に最新の専門書籍を置いてみたりもしたけど、読んだ形跡は見当たらず( ̄д ̄)

 

ただ、これまでにがんで亡くなった友人や同僚もいたそうですし、映画やテレビを観ることが趣味の一つでもあるので、そちらの方面からの知識が豊富でしたね。

 

わっそんわっそん

医療ドラマや家庭の医学関連のテレビを見過ぎていることもあり、情報が偏っている印象を受けたのも内緒にしといてくださいませm(__)m

 

究極の選択

 

曇り空にハシゴ

 

前述した通り、担当医からは、“本人が検査を望んでいない場合、本人の意志を変えることは非常に困難です”と伝えられていましたが、父親に関して言えば、“この部分だけは当てはまらない”という確信めいたものがあった。

 

父親は頑固な面もあるし、文句ばかりを口にするけれど、最終的には、いつも僕や家族の意見を聞き入れてくれたから。

 

わっそんわっそん

まあ、近年の話ではあるのですが………( ˘ω˘)スヤァ

 

だから、兄や僕が説得をすれば、何だかんだ言いながらも、それを受け入れてくれることは間違いない。

 

まるで決めつけるかの如く信じて疑わず。

 

だからこそ、“本人が治療どころか、この先の精密検査さえも望んでいない”という事実は難題でしかなかったです。

 

それはまさに、父親が望んでいることと家族が望んでいることに大きな差異があったからに他なりません。

 

「人の生死にかかわる問題」「何が正解なのかも全くわからない」、こんなの難題としか言えませんよ><

 

わっそんわっそん

難題というか、難題を通り越して「究極の選択」と言えるのではなかろうか( ゚Д゚)

 

もし、僕自身が10代や20代の頃だったら、“父親の意志を尊重すべきだ”という想いを抱くことができたのかも知れない。

 

ただ、歳を重ね、さまざまな経験を通して、“親の偉大さ”や“親のありがたさ”、そして“与えてもらった数々の無償の愛”など、多くのことに気付くようになってくると、純粋に“長生きしてもらいたい”“母親にできなかったことをせめて父親には”といったような万感の思いが込み上げてくるものです。

 

わっそんわっそん

鈍感な自分でも40近くになると、流石に“親という存在の大きさ”や“親という存在の大切さ”に気付くのであります!!

 

やはりというか兄も全く同じ考えでしたね。

 

兄は父親に性格が似ており、悩やんだり考え込んだりするようなタイプではありませんが、結婚もしているし、僕なんかより経験も豊富ですので、すごく複雑な気持ちだったと思います。

 

ただ、一緒に住んでいないことなどもあるのでしょう、いつも第三者的な立ち位置で客観的なアドバイスをしてくれるので、非常に心強い存在でした^^

 

診察の前日に家族全員で今後のことについて話し合いをし、次回の診察には家族三人で向かうことになりました。

 

家族会議

 

4人で話し合い

 

診察の前日、兄が仕事終わりに帰省し、あまり覚えていないのですが、何時間か話をしたと思います。

 

わっそんわっそん

深刻な雰囲気もなく、いつも通り雑談ばかりだったよなぁ~( ˘ω˘)スヤァ

 

結論から言いますと、自分たちが想定していた通り、嫌々ながらも、文句を言いながらも、家族の意見を受け入れてくれました。

 

結果がわかってしまっている今となっては、“父親がどんな気持ちでこの意見を受け入れてくれたのだろうか”、そんなことを考えてしまうと、ただただつらく苦しい。

 

しかし、この時点では、がんという病気が不治の病から治る可能性の高い病気へと変わりつつあること、そして実際にブログ等を読んでいても、がんと共存して暮らす方々が増えてきているという印象も強く、やはり治療を行うことが最善なのではないかという思いが強かったんですよね。

 

もちろん、「年齢」「進行度(ステージ)」「がんができた部位」等、さまざま要素によって違いがあることは理解していましたが、兄や僕としては、治療をしていくことのメリットは十分にあると考えていました。

 

一方、父親の考えとしては、“自分自身はそれなりに長生きできた、後は自然の流れに身を任せればいい”、そんな想いが根底にあることを強固に感じました。

 

父親が話をしていたことは、

 

  • 妻よりも長生きしていること自体が考えられない
  • 糖尿病になってしまった時点で70歳以上生きるとは思ってもいなかった
  • 早くに亡くした友人も多く、職場の同僚も定年後の数年間で大勢亡くなってしまっている

 

こんな感じだったと思います。

 

また、“がんの治療費は高額であること”“糖尿病に加えて肺がんだったら、そう長くは生きない”“検査や治療であれこれ身体の中をいじくりまわしても自分自身が苦しくなるだけ”というようなことを話していたのもはっきり覚えています。

 

わっそんわっそん

がんに対する考えを聞いてみると、「近藤先生」のような意見に近いように感じたなぁ~・・・本人は全く知らないみたいだったけど(。-∀-)

 

父親の意見は明白ですごく納得のいく考えでしたね。

 

わっそんわっそん

ちなみに、“放置してがんであった場合はどうするの??”と聞いたんだけど、「根性論」のような話が展開されていき・・・特に策はなかった様子だったなぁ~( ˘ω˘)スヤァ

 

究極の選択であり、深く考えても仕方がない、すべてが良い方向に向かってくれることを願うしかありませんでした。

 

わっそんわっそん

最後に、“お前たちの気持ちは分かったけど、「入院治療(期間が長い場合)」や「抗がん剤治療」は勘弁してくれよな”と連呼されたことも付け加えておくっす(ΦωΦ)